静かに片手を上げてこちらを見つめる小さな猫。
日本の商店や家庭の玄関先など、さまざまな場所でその姿を見ることができる。
人々の暮らしの片隅に、当たり前のように存在しながら、どこか不思議な温かみと安心感を与えてくれる。
招き猫(まねきねこ)――それは福を呼ぶ猫として、日本の風景の中に自然に溶け込んできた存在である。
江戸の町で生まれた、福を呼ぶ伝説
招き猫の起源については、いくつかの伝承が語り継がれている。
その中でも、もっともよく知られているのが、東京都世田谷区にある禅寺「豪徳寺(ごうとくじ)」にまつわる話だ。
ある日一人の武士が、一匹の白猫に手招きされ、寺へと足を踏み入れた。するとすぐに雷雨に見舞われ、武士はこの白猫のおかげで難を逃れたという。
後にこの武士は、井伊家の殿様であったと伝えられている。
彼は豪徳寺を篤く支援し、あのときの猫は「福を招いた猫」として崇められ、その姿を模した置物(=招き猫)が作られるようになった。
今でも豪徳寺には、耳を赤く染めた白猫の像がずらりと並び、人々の祈りとともに静かに佇んでいる。

多くの招き猫が並ぶ豪徳寺
一方で、もう一つの招き猫の伝承が語られているのが、東京・浅草の今戸(いまど)地区である。
江戸時代末期の地誌『武江年表』(嘉永5年・1852年)の記録によれば、浅草花川戸に住んでいた一人の老婆が、貧しさゆえに可愛がっていた愛猫を手放さざるを得なくなった。悲しみの中で眠りについたその夜、夢枕に猫が現れ、「自分の姿を人形にすれば福徳を授かる」と告げたという。
老婆は目覚めると、言われたとおりに猫の姿を模した人形を作り、今戸焼として焼き上げた。
やがてその人形は浅草神社(三社様)の鳥居の横で売られるようになり、たちまち評判を呼んだ。
その猫の特徴的な姿――ふっくらとした体、丸い顔、胸の「丸〆(まるしめ)」の印――は、「今戸焼・丸〆猫」として現代にも受け継がれている。

どこかとぼけたような表情が魅力の丸〆猫
どの伝承が本当のはじまりかは定かではない。
けれど、共通しているのは、人々が小さな猫の姿に願いや思いを託してきたということである。
それは、形あるものを通して目に見えない「祈り」を形にする、日本人の繊細な感性のあらわれでもあるのだ。
手のしぐさに込められた意味
招き猫がそっと掲げる、その小さな前足。
一見、愛らしい仕草に見えるこの動作には、はっきりとした意味があるとされている。
右手を挙げた猫は、金運や財を招くとされ、左手を挙げた猫は、人や縁、すなわちお客を招く。
商いの場では左手を、家庭では右手を選ぶことが多いというのも、生活の中でそれぞれに大切な「福」のかたちが異なるからだろう。
また、両手を高く挙げた猫もある。両方の幸運を願う姿として受け取られることもあれば、「欲張りすぎてお手上げ」という、少し茶目っ気のある解釈も添えられる。だが、こうした多様なかたちの中にこそ、人の願いの多様さと、作り手の遊び心が、静かに表情の中に息づいている。

右手を挙げた猫は金運を、左手を挙げた猫は人や縁を招くとされている。
彩りに映る願いのかたち
招き猫と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、白い陶器の体に赤い耳、金の鈴、赤い首輪をつけた姿だろう。
この典型的なかたちは、かつて病気や災厄から守るとされた「魔除け」の赤と、神聖な色とされた白との組み合わせで、清らかさと守護の願いが込められた造形である。
しかし近年では、その姿は一段と多彩になり、色ごとに異なる意味や願いが託されるようになった。
白は開運招福、黒は魔除け、赤は無病息災、金は金運、青は学業成就、ピンクは恋愛成就、緑は健康や家内安全。
こうした色彩の変化は、現代の多様な価値観や人生のかたちを反映しているとも言えるだろう。願いが一様でないからこそ、猫たちはさまざまな色を纏い、それぞれの物語を生きている。
また、招き猫の素材や表情にも、土地ごとの風土と文化が息づいている。
たとえば、愛知県瀬戸市では磁器で作られる招き猫が多く、つややかで清らかな表面が特徴的だ。江戸時代から続く瀬戸焼の技法により、気品ある美しさと丈夫さを備えている。
一方、東京の今戸地区では「今戸焼」と呼ばれる素朴な土人形の猫が今も作られている。ふっくらとした丸みのある姿や、どこかとぼけたような表情には、下町の人情や温もりがにじむ。
九州・福岡や京都などでは、木彫りの招き猫も作られており、木のぬくもりや軽やかさが好まれている。木肌の質感に漆や彩色をほどこし、素朴ながらも静かな存在感を放つ。自然素材とともにある暮らしの中で生まれた、土地に根ざした祈りのかたちである。
こうして見ると、「招き猫」というひとつの名のもとに集う猫たちは、それぞれの土地の技と心、願いと美意識をまといながら、時代とともに進化し、多様な表情を見せている。
共通するのは、その小さな体の奥に、誰かの幸せをそっと願う気持ちが宿っているということだ。

瀬戸焼の招き猫
今も日本の各地で、職人たちはひとつひとつの招き猫を手作業で仕上げている。
ろくろを回し、土を捏ね、筆を走らせ、表情を整え、最後の仕上げに込めるのは、つくる人自身の「願い」でもある。
誰かのもとに届いたとき、その猫がそっと寄り添う存在であるように――そんな静かな祈りが、ひとつひとつの猫たちに込められている。
日常の片隅に飾られたその小さな姿は、過ぎゆく時代の中でも変わらず、人が人を想うこころの証として、静かに息づいている。
そして今日もまた、どこかの棚の上で、小さな猫がそっと手を上げて、目には見えない誰かの幸せを、静かに招いているのだろう。
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