だるま──禅と日本の民間信仰
赤く丸い姿に凛々しい顔つき。
だるまは、日本で最もよく知られた縁起物の一つだ。
日本の暮らしに深く根付いていながら、その由来や意味、作法まできちんと説明できる人は案外多くない。
片目のまま置かれる理由、赤が選ばれてきた背景、そして節目で納める習慣──だるまは、人々の「願い」や「目標」を、目に見える形にして暮らしの中に置くものだ。
縁起物であると同時に、日々の行動を整え、区切りのタイミングをつくる役割も担ってきた。
本稿では、だるまの歴史・意味・作法を辿りながら、日本の民間信仰が暮らしの中で育ってきた背景を読み解く。
だるまの起源──禅の象徴から縁起物へ
日本人なら一度は「だるま」を見たことがあるだろう。
だが、この名が禅の祖師・達磨大師(菩提達磨)に由来することまで意識している人は多くない。
赤く丸い縁起物として親しまれる一方で、人々はだるまに「忍耐力」や「不屈の精神」を託してきた。
禅の祖師「達磨大師」
達磨大師は、6世紀初頭にインドから中国へ渡り、禅の「初祖」として語られてきた人物とされる。史実と伝承が重なり合う存在ではあるが、坐禅を貫いた僧としての印象が強い。
禅とは、経典の言葉よりも、修行を通じて心を整え、そこから真理をつかむことを大切にしてきた。
そして、その方法として、無の境地を目指して静かに坐る「坐禅」の修行が重視された。
そうした背景から、達磨は、目の前のことに徹し、簡単には揺らがない姿勢の象徴として語られるようになった。
※座禅については別記事で詳しく説明:座禅──静寂の中にある「無」の境地

達磨大師像
達磨大師が「だるま」になるまで
時代とともに、達磨大師の名と姿は人々の暮らしの中へ入り込んでいく。
寺社の縁日や市の場では、祈りや決意を形にして持ち帰れるものが求められ、達磨像もまた、その役割を担うようになった。
厳しい修行者としての印象は残したまま、庶民はそこに「続ける」「立て直す」という意志を重ね、目に見える形で手元に置くようになる。
こうして達磨は、禅の象徴から、人々の願いと目標を支える縁起物としての「だるま」へとその姿を変えていった。
張子だるまと、だるま市のはじまり
縁起物としての「だるま」を語るうえで外せないのが、紙で形をつくる張子だるまの存在である。
木型に和紙を貼り重ねて成形する張子は、軽くて扱いやすく、同じ形を繰り返し作ることができる。だからこそ、だるまは身近な縁起物として広がっていった。
そして、だるまが定着する入口として知られるのが「だるま市」だ。
だるま市は、主に正月前後に寺社の縁日として開かれ、縁起物のだるまを求める人々で賑わう。地域によって日程や規模は異なるが、一年のはじまりや節目に、願いや目標を立てる場として親しまれてきた。
会場には大小さまざまなだるまが並び、人々は顔立ちや大きさを選びながら、新しい一年に託す思いを定めていく。
だるま市は、物を買う場である以上に、一年の始まりに「願いを立てる」「気持ちを切り替える」場として機能してきた。
こうした「場」があったからこそ、だるまは縁起物としてだけでなく、生活文化としても根づいていった。
だるま市はいまも各地で続き、江戸期からの流れを引き継ぐ年中行事として定着している。

正月のだるま市
縁起物としてのだるま
だるまには、形・色・作法に、それぞれ明確な意味がある。
だるまが縁起物として広く定着した背景には、この「分かりやすさ」がある。
七転び八起き
丸い形で作られるだるまは、倒しても起き上がる。
それはまさに、私たちの人生のようでもある。
また、安定した重心は、困難に立ち向かう精神力と忍耐力、そして心の持ちようを表している。
人生はうまく行く時ばかりではない。失敗や挫折はつきものだ。
それでも私たちは、そのたびに立ち上がり、また前へ進んでいくのだ。
色に込めた願い
だるまと言えば、まず「赤色」を想像する人も多いだろう。
この赤は、だるまの由来とされる達磨大師が、緋色の法衣をまとっていたという伝承に結びつけて説明されることが多い。
また、この「赤」には厄除けや魔除けと言った意味もある。
病や災いが身近だった時代、人々は赤を「守りの色」として認識してきた。
たとえば天然痘が流行したころには、病除けを願って赤を強調した絵(疱瘡絵)を家に貼る習慣があったという。だるまの赤も、単なる意匠ではなく、暮らしを守る願いを目に見える形にした色だと言える。
だるまの目入れ──願いをカタチへ
だるまの特徴として良く知られるのが目入れである。
願いや目標を立てた時に片目を入れ、その成就や節目でもう片方の目を入れる。
こうして両目が揃うことで、「大願成就」となる。

だるまの目入れ
この作法には、願いを目に見える形で残し、日常の中に置くことで、決意を薄れさせないという意味がある。
片目のだるまが目に入るたび、人は初心に立ち返る。
目入れは、願いを日々の積み重ねにつなげるための工夫として、今日まで続いてきた。
納めるという区切り
だるまには、願いが叶ったあとや一年の節目に、寺社へ納める作法がある。
古いだるまを手放し、新しいだるまを迎える。
日本には「有終の美」や、「終わりよければすべてよし」という言葉がある。これらの言葉が示すように、日本人は古くから「終わり」に重きを置いてきた。
だるまを納める文化にも、願いを持ち続けることや結果の成否を問うこと以上に、それをしっかりと終わらせる区切りに意味を持たせてきた。
区切りがあるからこそ、人は気持ちを整え、次の願いへ進める。
願いが予定通りに叶わなかったとしても、節目で納めることで一区切りをつけられる。
寺社では納められただるまを供養し、お焚き上げとして火にくべるところも多い。
こうして手放すための手順があるからこそ、人は次の一年、次の願いへと進んでいける。
だるまの地域性
だるまは全国で作られているが、その姿は一つではない。
顔つき、眉や髭の描き方、胴に入れる文字、色や大きさ──土地が変われば、だるまの表情も役割も少しずつ変わる。
そこには作り手の好みだけでなく、その地域の信仰や暮らしが反映されてきた。
高崎だるま(群馬)
日本で「だるま」と言えば、まず高崎を思い浮かべる人は多い。
群馬県高崎市を中心に作られてきた高崎だるまは、張子だるまの代表格として広く定着しており、現在のだるまの原型を形づくった存在でもある。
高崎だるまの顔つきで特徴的なのが、眉と髭に縁起の意味を重ねる表現である。眉は鶴、髭は亀になぞらえて描かれ、鶴亀の意匠によって長寿や繁栄の願いを顔の中に織り込んできた。
胴には「必勝」「商売繁昌」などの文字が大きく入り、目標や成果と直結する願いに向けて使われてきた。個人の願掛けにとどまらず、企業や団体の達成祈願にも用いられる点に、高崎だるまの実用性がよく表れている。

少林山達磨寺のだるま(群馬県高崎市)
三原だるま(広島)
広島県三原市の民芸品である「三原だるま」は、縦に長い胴体と、頭に描かれた豆絞りが特徴だ。さらに、両目が最初から書き入れられており、「先を見通せるように」という願いが込められている。
このだるまづくりは、江戸時代に疫病除けの縁起物として生産が始まり、のちに城下町で武士の副業として広がっていった。
毎年2月に開かれる三原神明市では多くのだるまが売られ、祭り自体も「だるま市」と呼ばれるほど、三原だるまと深く結びついている。

三原だるま
松川だるま(宮城県)
松川だるまは、仙台の張子文化を代表するだるまで、赤一色ではなく、前面を群青色や水色で彩る点が大きな特徴である。
空や海を表す色とされ、金粉を散らすなど、華やかさも併せ持つ。
もう一つ分かりやすい特徴が、最初から両目(瞳)が入っていることだ。仙台藩主として知られる伊達政宗が独眼であったことに配慮したという伝承が語られ、同時に「四方八方を見守る」といった意味づけでも説明される。
天保年間(1830–1844)ごろ、仙台藩士・松川豊之進が作り始めたとされ、三原だるまと同じく、武士の内職として広がったと言われている。

松川だるま
だるまの姿が、地域によって違うのは、作り手の工夫だけが理由ではない。
その土地の風土や願い、守りたい日常がだるまの姿に反映されてきたからである。
商いの町では商売繁昌。農業が盛んな土地では豊作や家内安全。
だるま、その土地に合わせて姿を変え、人々の日常を見守ってきたのである。
願いのそばにあるもの
だるまは、決して「願いを叶えてくれるもの」ではない。
人々の日常に寄り添い、その願いや思いを支える身近な存在としての役割を担ってきた。
願いがかなわず片目のままで置かれる時間がある。
うまくいかない日が続くこともある。
それでも、目の届く場所にだるまがあるだけで、もう一度やり直そうと思える瞬間が生まれる。
だるまは、揺らぎながら生きる日々の中で、それでも前を向くための、静かなよりどころなのだ。




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