除夜の鐘──終わりと始まりを告げる音
日本では、大晦日の夜、更けていく街のどこかから、低く長い鐘の音が聞こえてくる。
冷えた空気の中をゆっくりと広がっていくその響きは、一年の終わりを静かに告げると同時に、新しい年の始まりをどこかで予感させる音でもある。
この年の瀬に鳴り渡る鐘の音を、日本では「除夜の鐘」と呼ぶ。
「除夜の鐘」とは、12月31日の夜から元日の深夜0時前後にかけて、日本各地の寺院で打たれる梵鐘(ぼんしょう)のことを指す。
過ぎた一年を振り返り、心に積もったものを手放し、新しい年を迎える準備を整える仏教行事として、長く受け継がれてきた。
除夜の鐘のはじまり
除夜の鐘の起源は、中国の宋の時代にまでさかのぼるとされている。
もとは毎月の最終日の夜に鐘をつき、邪気をはらう行事が行われていたが、次第に一年の締めくくりである大晦日の夜に集中して行われるようになったという。
この風習が鎌倉時代に日本へ伝わり、禅宗の寺を中心に各地の寺院へと広がっていったと考えられている。
江戸時代になると、寺の鐘は都市部を中心に「年越しの音」として人々の暮らしに定着していく。
さらに昭和の時代に入り、ラジオやテレビで年越しの様子が中継されるようになると、除夜の鐘の音は全国で共有される年末の風物詩となった。
静かな寺の境内で、あるいは自宅の窓越しに耳を澄ませて聞く鐘の音は、長い時間をかけて形づくられてきた、日本の年越しの情景そのものだと言えるだろう。
なぜ108回鳴らすのか
多くの寺院では、除夜の鐘は108回打たれる。
この「108」という数には、いくつかの由来があるが、もっともよく知られているのは「人間の煩悩の数」を表すという説である。
仏教では、
目・耳・鼻・舌・身・意という六つの感覚(六根)それぞれに、
「好き」「嫌い」「どちらでもない」
という三つの心の働きがあり(6×3=18)、
さらにそれぞれに、
「きれいな状態」と「よごれた状態」
の二つがあるとされる(18×2=36)。
それが、
過去・現在・未来
の三つの時間にわたって働くと考え、36×3=108。
こうして、人を悩ませるさまざまな心の動き(煩悩)を象徴する数として「108」が用いられてきた。

人間には108の煩悩があると言われている。
このほかにも、「四苦八苦(しく=4×9、はっく=8×9)を合わせると108になる」とする説や、「一年を表す暦の区切りを合計した数」など、いくつかの説が伝えられている。
除夜の鐘を突くごとに、一年のあいだに積もった執着や迷いをひとつずつ手放してゆく。
心を新たにして新年を迎えたい──除夜の鐘にはそんな願いが込められている。
各地で受け継がれる鐘の音
除夜の鐘は、日本全国の寺院で行われるが、その中でも特に知られた寺がいくつかある。ここでは、年越しの風景として多くの人の記憶に刻まれてきた代表的な寺院を挙げておきたい。
知恩院(京都府京都市)
浄土宗総本山・知恩院の大鐘は、高さ約3.3メートル、重さ約70トンにも及ぶ日本有数の巨鐘として知られる。
大晦日の夜には、17人の僧侶が綱を引きながら息を合わせて打ち鳴らす姿がテレビ中継され、「年越しの風物詩」として全国にその音が届けられてきた。
その勇壮な姿と重厚な響きは、京都の年越しを象徴する光景となっている。
【除夜の鐘 浄土宗総本山知恩院】
東大寺(奈良県奈良市)
奈良の大仏で知られる華厳宗大本山・東大寺でも、大晦日の夜には多くの参拝者が見守るなか、除夜の鐘がつかれる。
高さ・口径ともに約2.7メートルとされる大鐘は、日本三名鐘にも数えられる名鐘で、奈良時代様式を伝える代表的な梵鐘の一つとされている。
古都の冬の夜気の中にゆっくりと響き渡るその低く重い音色は、東大寺の大伽藍とあいまって、年越しの時間をいっそう厳かなものにしてくれる。
【東大寺 除夜の鐘】
永平寺(福井県永平寺町)
曹洞宗大本山・永平寺は、禅の修行道場として知られる寺院である。
大晦日の夜には、修行僧たちが除夜の鐘を打ち鳴らす。
深い杉林と雪に包まれた山寺の境内で、多くの修行僧が交代で鐘をつく光景は、荘厳で張りつめた空気をまとっている。
境内の別の鐘は一般参拝者もつくことができ、修行寺ならではの雰囲気の中で年越しを迎えられる行事として親しまれている。
【永平寺 除夜の鐘】
それぞれの寺で、鐘の大きさもつき方も、集う人々の表情も少しずつ異なる。
けれど、大晦日の夜空に響くその音はどこも変わらず、人々の記憶の中に「年越し」の景色として静かに積み重なってきた。
鐘の音に耳を澄ます夜
大みそかの夜、静かな境内で、あるいは自宅の窓越しにふと耳を澄ませてみると、
遠くからゆっくりと鐘の音が響いてくる。
除夜の鐘は、煩悩を払う仏教行事であると同時に、終わりと始まりが静かに重なり合う、年越しの瞬間を告げる音でもある。
鐘の音に耳を傾け、過ぎた年を振り返る。
そして新たな一年に期待を膨らませる──そのささやかな時間は、これからも形を変えながら、日本の年末を象徴する風景として受け継がれていくのだろう。







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